子供は親の鏡とか、昔から色々言われています。
動物も人間も、0の状態から、色々吸収して、それを糧に育っていくのですから、成長するまでの過程で、どういう体験をし、それをどう思ったかで、個性が育ったりするのだと思うのですが・・・。
でも、小さいうちって、親がしていたり、自分の周りがしていたら、それが普通と思いますし、また、そういう風にすればいいのか、とか、そういう風にするのか・・・と、自然と考えることもなく、まねをするみたいです。
と、すれば・・・。
自分の育てたいと思うことは、まず親がやっていないといけないのだ・・・と思いました。
なので、テレビを見ながら食事をしないとか、食事マナーとか。
寝転がってテレビをみないとか・・・。
親だからいいという言い訳は通用しないと思っていたので、それをしないようにしている私達夫婦です。
また、子供をしつけと称して、叩いたりする人もいますが、結局そういう場合は、叩けばいいのだと、暴力の仕方を教えてあげているのと同じ状況だと分かっていない人も多いと思います。
叩かれて、何を思うか・・・痛い、怖いなどなどで、悪いことをしたから叩かれたなんて考えられるのは、ずっと大きくなってからじゃないかなとも思いますし、また悪いことをしたという事実を教える方が先決なのに、暴力をされたという恐怖等を前面に植えつけるのではないのかなと思います。
切れやすい子供・・・それは、食生活や生活習慣もあると思いますが、親のかかわり方も、切れやすかった・・・のではないかなと思いますし、いくつかの育児書でも取り上げられています。
また、子供にこうあってほしいという、色々な願いはやはり親なのであると思いますが、他の子より優れているから素晴らしいと、親のステータスにするのはどうかと思いますし、また反対に無関心もいけないと思います。
公共のマナーを守れない人は、その人達の親がマナーを気にしない人だったのか、それとも無関心だったのか、分かりませんが、今日公園で、目の当たりにした事がありました。
サクラが綺麗で、カメラに収める人が多かったのですが、その中、子供の写真をサクラを背景に取ろうとがんばっている人たちがいました。
その姿は、旗からみるとほほえましくも思えるのですが、でも違うのです。
サクラの木が少し高い所にあり、子供の背景に入らないためか、子供を公共のベンチに立たせて一生懸命に写真を撮ろうとしています。
靴を脱いで、上っているのであれば、まだましかな・・・って思っていたのですが、靴は脱ぐどころか、上っているのは、肘掛のうえ・・・。
それを普通に、己の欲望のためにさせているのを見て、それを見た周りの子供達、またそれをした子供は、また同じように我が子にするのかな・・・と、怖い育児マナーの継承を垣間見た気がしました。
また、言葉遣いもとても悪く、それがその人にとって、普通のようで、たとえ相手が子供であろうと関係ないという感じでした。
今はまだ小さい子供達なのですが、これが中学、高校と成長したとき、その子達の発する言葉は、今目の前でしゃべっている親御さんのしゃべりと、まったく同じなんだろうな・・・って、思いました。
先日も、荒れる中学・・・とニュースでありましたが、生まれたときは、みんな平等に純真無垢。でも環境がそう染めるのだと思います。
また、やすにいさんのブログでもありますが、子供に向き合えていない結果なのだと思います。
私が中学生のときは、一番ひどくて、荒れる中学のニュースどころじゃなかったような気がします。
どちらかというと、それが日常のような。
その中、いわゆるツッパリ??のなかで、対立があって、一種のいじめがあったのです。
そして、いじめられている人が、少し更正の兆しがあって、いじめられた体験から、いじめられる人の気持ちが分かるだろうと思っていたのもつかの間・・・仲直りして、元の状態に戻りました。
仲間割れしたとき、いじめられたとき、本当に辛そうにしていたのに、なんで分からないのだろうと、私は思いました。
でも、そんな彼らは、歌うのが大好きで、ものすごく大きい声で歌っていました。
大きな声で、自己主張したいというか、フラストレーションを吐き出しているような様子でもありました。
彼らは、本当は、寂しい小さい子供の心を抱えたままなのかもしれません。
根は優しい・・・確かに、更正の兆しを垣間見たとき、本当にその人の純粋さが見えた気がしました。
純粋ゆえに傷つきやすく、そして、愛情を求めているのかもしれません。
うまくまとめれなくなってしまいましたが・・・。
子供を、自分のステータスのために、あれこれ強制せず、子供のペースで、また、しっかり愛情を分かる形で表せてあげて、汚い言葉遣いを使わないで、小さい今を大事にしてあげてほしいなと思います。
どうしても、経済が苦しいので、収入を上げないとって思われる方もいらっしゃると思います。
いつもがんばられていて、大変かと思います。
仕事に家事に追われて、本当に大変だと思います。
忙しい時間帯に限って、子供が甘えてくることもあると思います。
そんなときは、抱きしめてあげて、一緒に料理(手間かかると思いますが)などして、係わり合いを増やしてあげたら、寂しい思いは薄れると思います。
私も、できるだけ、手伝いたいといわれたときは、させています。
本当に時間はかかりますが、やることによって、うまくなり時間が短縮されてきました。
経済的に余裕あるのに、家にいたら息がつまるとか、自分の自由な時間がほしいから、そして、手間がかからないし、子供に協調性を早くから持たせたい。トイレトレーニングしなくて済むからという考えで、保育園に生かせている人が、まれにいるみたいで、耳にします。
とても悲しいことだなって思います。
確かに、トイレトレーニングは、大変ですし、ご飯の用意も大変。。。
でも、3歳までは、一番そばにいて欲しいのは、親であり、ママだと思います。
2歳過ぎるまで、子供の視野は本当に狭いです。自分のやりたいものしか見えていません。
友達なんて、ちょっと目に入っても、次の瞬間、おもちゃに釘付けもざらです。
黙々と遊んだりもします。そういう時期は、集中力と想像力がついていいと思います。
でも、一番は、悲しいこと辛いことがあったとき、ママや親に甘えて、保護してもらいたい欲求が強い時期だと思います。
ママに抱きしめてもらって、慰めてもらって、それから立ち直り、前に進み・・・それを繰り返して子供は成長すると聞きました。
自分に時間がないと、イライラする気持ち分かります。
でも、今、かかわらないと、大きくなって暇になり、小さいうちに手をかけていなかったからと、反対に甘やかしたりして、自立芯を削いだり、また、なんでいまさら!と子供に怒りを覚えさえる結果になってしまうかもしれません。
早寝早起きを子供にさせたら、少しは自分の時間持てますよ。
本当に大変ですけど・・・。
長い時間、自分の時間がなくても、凝縮した自分の時間があれば、それだけでもまったく違います。
もし、余裕があって、自分の時間がほしいから保育所に預けている人は、もう少し考えてほしいです。
どうしても、入れないといけない人がたくさん世間にいるのですから・・・。
子供を持った時点で、自分達が、子孫の祖先となり、自分達の育児論が、子孫の育児論、社会にかかわるのだという責任もあることを、思ってほしく、長々書いてしまいました。
えらそうなことを書いて!と不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
すみません。
ただ、子供達がいつまでも輝いて、人生がイヤにならない社会になってほしくて、書きました。
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