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色々、同じように悩んでいる方もいるかもしれないということで、何かのきっかけになれば・・・と思い、私の考え(育児書にかなり影響受けてますが)です。
私には、二つ上の兄がいました。
でも、会った事はないのです。
それは、私が母のおなかの中にいるのも分からない時期に、風邪をこじらせて、あっという間に、死んだそうです。1月2日の事だったそうです。
年末に、餅つきを、家の前でやったらしいのですが、その日が寒かったらしく、風邪を引いてしまったようです。
母は、風邪を引いて、あっという間に死んでしまった。たった2年しか生きずというショックで、当時なぜ、兄が死んだのか、きっちりと認識していなかったようです。
ただ、兄の事は、ほめていました。
あまりに頭のいい子だったから、早くに召されてしまったと、母方の祖父が言っていたという事は、小さい頃から聞いていましたし、もし兄が生きていたら、自分達は、もっとぐれていたのかもしれないと、小学生の頃弟と話をしていたぐらいです。
そんな経験があるため、何よりも口うるさく言われていたのが、病気をすることでした。
薄着をしていたら、風邪を引くのではないかと、言われて、上着をかけてくれてえました。
また、私自身、10歳になるまで、一ヶ月ぐらい休むのが普通ぐらいで、久し振りに行く教室は、知らない場所になっていることが多かったです。
小学校二年生の三学期に、1ヶ月休まずにこれたということで、先生に教壇へ呼ばれ、ほめられた事があります。そのときに、そんなに私は来ていないのか・・・と、実感したのですが。
病気に対して、気をかける母でしたが、他に言うことは、ものすごくきついと思っていました。
母いわく、「あんたは、自我が強すぎて、人が言っても反抗ばかりするから、もう何も言わないほうがいいと思って何もしなかった」みたいな事を言われました。
確かに、これといって、ガミガミ言われた記憶もなく、あるとすれば、片付けの事でしたでしょうか。
それでも、毎回ではなくて、最後は母が片付ける事の方が多かった気がします。
小さい頃、いたずらも大好きだった私なので、母のお化粧品に手を出した事もありますし、かなり暴れましたが、ほめられる事は、少なかった気がします。(まぁ、物事を完了しなかったせいもあるのかもしれませんが)
記憶にあるのは、髪の毛が、ものすごく硬くて、つやが無く、「髪をきちんととめないと、汚らしい。カラスの羽根のよう。まだあっちのほうが、つやがあってきれいよ。こぅ!この髪!つやもなくて」のような事を小学校低学年の頃言われたり、父にも、髪の毛を乾かしながら、くるくるブラシ?で、ちょっと髪に癖をつけようとしていたら「そんな短い頭でやってなんいなるね!」のような事を笑われながら言われた事もあり、私は外見を磨いても、意味がないんだと、思ったきっかけでもありました。
そういう思いがあったので、おしゃれなんて、まったくしませんでした。
しても無駄。
また、して当然。
できて当然。
あんたが笑われるんじゃなくて、親の私が笑われるンよ!とよく言われてました。
一度、高校生の時に、いとこと比べられたせいもあったのか、はっきりとは忘れたのですが、一度だけ「何でもっといい顔に産んでくれなかったの。お母さん、お父さんは、きれいな顔しているのに」と言ったら、母は、「それだけあれば、十分よ。下を見ればもっとひどい人もいるし」といわれました。
私は、納得できませんでした。
もやもやして、すっきり納得できなかったのです。
うまくいえないのですが、もっと苦しんでいる人も多くいらっしゃるかもしれないですが、でも、私が求めていたのは、違いました。
その答えに気づいたのは、同僚の話でした。
同僚は、そばかすがあって、それが気になって仕方なく、また、低い鼻が気になっている様子でした。
でも、私から見れば、色白で、目もくりくり、髪の毛は柔らかく、何よりも笑顔が素敵で、とっても好きな人だったので、自分が好きでない時期があったという話を聞いたときはびっくりしました。
昔、太っていたのもあったためか、その人が高校生ぐらいの時に、自分が嫌いみたいなことを、お母さんに話したそうです。そしたら、お母さんが「他の誰が、あんたの事を言っても、私にとっては、一番かわいく、素敵に見える」という事を言われて、すごくうれしくて、自分に自信を持つきっかけになったし、とてもありがたく思ったとの事でした。
私は、その話を聞いて、高校生の頃の事を思い出しました。
誰よりも美しいといって欲しかったのではなく、親に、あんたが一番かわいいとさえ、言ってもらえればよかったのだと。
それから、自分の子供にも、同じように悩む時期が来るだろうから、その時には、誰よりもかわいいと言ってあげようと思いました。
それから、ナルちゃん憲法を読み、子供が夢中になって何かをやっているときは、話しかけたりせず、集中させて、集中力をつけさせた方がよいとあり、それを実行し(旗から見ると、放置にみえる???)また、たまひよだったか、子供が言葉の使い方を間違えた場合、それは違うよと、否定するのはなく、それは、~というんだよって、教えてあげるようにし、何よりも、ほめる事、抱きしめる事を気にするようにしました。
イヤイヤ期には、親を困らせているのではないのか!って思うことも多々ありましたが、まだ、2年しか生きていないのだし、うまく出来なくて当たり前と思うようにしましたし、どっしり構えているほうが、子供も落ち着くような気がしました。
それでも、長女のイヤイヤと、産後すぐのブルーで、ヒステリックの絶頂がありました。
そんな時、かっとなって、「馬鹿!あほ!」と言ってしまいたい衝動がありました。それは、自分自身が言われてしまっていたのかもしれないって、思ったりもして、ここで、いうと、私と同じ自己肯定感が下がると思い、ぐっと飲み込む事もありました。でも、数回言ってしまったので、後で後悔しました。
後悔するぐらいなら、しなければいいのにと、自分自身でも思いました。
でも、後悔するより、長女の自己肯定感をあげようと思い、また、必死に、うまく出来たことは、自然と「すごいね!」といえるように、勤めました。
最初は、「ここは、あーじゃないのに、こーじゃないのに」と、思ったのですが、それは、大人の定規だと思い、子供が、これがうまく出来た!と言ってきた事に着眼し、それをほめ、ここを、もう少しこうやったら、もっとうまく出来るよと、教えるようにしました。
それが、功を奏したのかは、分からないのですが、今、絵や文字を書くこと、文字を読むことが、楽しくて仕方の無い様子です。
同じ年頃の子に比べたら、それに興味を持ち、やりだすのは遅いのかも知れませんが、その時、興味がなかったので、無理強いしなかったので、ぐんぐん伸びているのかと、私は、思って納得している日々です^^
私の育児論?としては、こんな感じで持っているのですが、それでもいわば理想論でもあるところもあり(ズボラ星人なので^^;)どうしても、辛い時も出てきたりします。
それが積み重なると、自分が育てたら、まともな人間に出来ないと思ったりもします。
そんなとき、励ましの言葉頂いたりして、垂れ下がった気持ちが、復活します。
また、がんばろう。ひとつひとつ、がんばったね!と、カレンダーに書いたりしてます。
色々、みなさん、それぞれ思い悩む事も多いかと思います。
みんなうまくやっているように見えたりもするかもしれません。
でも、本当は、時期が違うだけで、同じように悩み経験しているみたいです。
主婦業・育児は本当に大変です。
否定的に思われたりしますが、本当に本当に、お疲れ様だといいたいです。
そして、ほめて育て、悪いことは悪いとしかり、思いやりのもてる人に育てられるといいな~と、思います。
それが皆さんの中心にある思いではないかと思います。
ほめて育てないと、ズボラ星人・・・がうまれますという、だらだら警告です^^;
なんか、うまくまとまらなくてすみません;;
お勧め育児書は、これです